Profile

佐藤 香織 (さとう かおり)

1979年11月27日 神奈川県生まれ、青森育ち。2児の母です。

射手座のO型で、動物占いは『自分をしっかりと持つマイペース型』のひつじ。

趣味:曼荼羅(マンダラ)アートを画く事。シンギングボウル演奏。人間の勉強。

長所:割と誰とでも仲良くなれる。空気を読める。貪欲になれる。メンタルが強い(笑)

短所:お酒を飲むと調子に乗る

Personal History

自己紹介

様々な経験が今の考え方を生み出すこととなった幼少期

物心がついたときから引っ込み思案で、泣き虫でした。
父は昔ながらの大工の棟梁という感じの人間で、口は悪くすぐに手の出る人でした。
母は16歳で私を出産したので、今思えば大変若くして出産したためでしょうか、精神が不安定な状態でいつも泣いていました。
そんな両親に育ててもらったせいか、常に人の顔色を伺い言葉を選ぶような幼少時代でした。

小学生になっても誰かと一緒にいることが苦手で仲のいい友達は1人いたくらいでした。
私が小学校2年生の時に両親が離婚し、父方に引き取られたのですが、母は別れる際、私に辛いときには音楽を聴きなさいとウォークマンをくれました。(この時の記憶は曖昧です。)
カセットテープの中身は『安全地帯』と『松任谷由美』というその当時の私にとってはとても大人な選曲でした。
でも聞いてみると曲が美しく、テープが擦り切れるほど聞きました。
それからは「NO Music NO Life」という言葉が私の為にあるかのように、ずっと聞いていました。
音楽は今では私の生活の一部となり、辛い事があっても好きな曲を聴くことで、頑張ることができています。

そしてそれと同時に、読書にもはまりました。
当時、薬害AIDS(エイズ)になったことにより差別を受け、最後は亡くなってしまった男の子の自伝書があったのですが、その本を読み頭が壊れるほどの衝撃を受けました。
本の題名は忘れてしまったのですが、初めて愚かな差別、そして死を意識した瞬間でもありました。

そしてもう一つ、感銘を受けた本が『病院で死ぬこと』です。
ドクターが病院で死んでいく人たちの事を書いた本です。たぶん終末期医療の話だったと思うのですが、死というものも色々あるのだなと思い、子供心ながらにも悲しく、声を出して泣いたのを覚えています。
こんなにも自分が声を出せるのだとびっくりしました。
この2冊を読んでから私の人生観は大きく変わりました。

「如何にして生きるか」ということについて深く考えるようになったのです。
今の私のセラピーの考え方の基盤になりました。

また、たくさんの本を読む中で、最も影響を受けたのが手塚治虫著の『火の鳥』です。
人間の愚かさと儚さを描いたこの作品では、何度も嗚咽しました。

【何で私は生まれてきたのか】、【何で人に生まれてきたのか】の意味を探しました。

この思考は、いまだに顕在しています。
折角生まれてきたのだから、健やかに美しく生きられたなら、ということを模索し施術に想いをのせています。
さすがに今は泣くことはないですが、《火の鳥》は今でも人生の節目で読み直しています。

それから、中学校1年生の夏休み、突然父が失踪しました。
私には3歳年下の妹がいるのですが、途方に暮れた私たちは施設に入るかもというところまでいきました。
しかし、青森にいた父方の祖父母に引き取ってもらえたので、なんとか姉妹別々になることはなく、施設の入所も回避できました。
祖父母の家は、青森の田舎の農家で本当に貧乏でした。何か大きな出費の時は祖父が牛を売ってお金を工面してくれていました。
食べるものは農家なので何とかなっていたのが救いです。
愛情をかけてもらったおかげで貧乏ながらにも、楽しい学生時代をおくらせてもらいました。
祖父母の愛情に感謝しています。

色々ありましたが、音楽と読書のおかげで引っ込み思案の私の世界は広がり、このセラピストという仕事を選ぶ事となったのです。

ライフワークと思えるものに出会った成年期

高校卒業後は手に職をつけようと思い、和裁師を目指し弟子入りしました。
寝る間もないくらいの課題と、仕立てに追われ毎日がやりがいのある有意義な時間となりました。
しかし、お給料は月3万円。
もらえるだけでありがたかったのですが、実家が貧乏だった為、車の維持費の捻出も大変になってきました。
その為、苦渋の決断でしたが、2年弱で辞めることとなりました。
その後はアパレルなどのアルバイトをしながら食いつなぐ日々でした。

妹は高校卒業後すぐに上京していたのですが、その妹から突然連絡があり、『お姉ちゃん、東京に来なよ!楽しいよ!』と誘われ、何も計画をしないまま21歳で上京しました。
もちろん無計画だったので、数年は適当な生活をしながら、過ごしていました。

適当に過ごしていた時代。ケバイですね。

27歳の時『このままじゃやばい』と突然思いはじめ、何かできることはないかと買いあさった本の中に『けいことまなぶ』がありました。
その中にあったフィリピンの伝統療法オイルトリートメント“ヒロット”の小さな記事が目に留まりました。
記事を読み込んでいくうちになぜか『これだ!』と思い、すぐに直営スクールに連絡をし、体験を受けました。あまりの気持ちよさに衝撃を受けたと同時に、身体がほぐれることで心もほぐれるという『心身相関』を体験したのです。
何も迷うことはなくスクールへの入学を決意しました。

その日から私のセラピスト人生がスタートしました。
日々のレッスンは楽しく、今までにない充実した毎日を送ることができました。
将来は人気セラピストになる!と甘酸っぱい夢を胸に卒業後は直営店に勤務することとなりました。

しかし、実際は思うように施術をすることができずに悩む毎日でした。
喜んでいただけない、身体を変えることができない、思うように指名が取れないという現実に直面したのです。

それでも、人間の身体の難しさに四苦八苦することが、勉強の楽しさに目覚めるきっかけとなったのです。
お給料を書籍とセミナーに費やし、友人とも疎遠になるくらい仕事以外の時間を勉強に費やしました。
そのおかげで世界が広がり、私のセラピーも徐々にですがいい方向に変化していきました。

それからは数年間、がむしゃらに働きました。
そして32歳の時に娘を授かり出産しました。

出産後はヒロットセラピースクールの講師として教鞭をとるかたわら、エステサロンでエステティシャンとしても勤務しました。
その時に出会ったのが射水先生の『関節エステ』です。
エステサロンのメニューにあった骨格調整の技術に疑問があり、自分で学びを深めようと探していた時に参加させていただきました。
射水先生の世界観に感銘を受け、さらに学びたいという意欲が高まりました。

私がこのセラピストという仕事をライフワークだと思ったターニングポイントです。

勤務セラピスト時代の会社の飲み会です。手前の一番右が私です。化粧が濃い!
可能性を広げるために鍼灸師を目指している現在

セミナーに参加させていただいたことがご縁で射水先生の治療院で勤務することになりました。
そして日々、治療院で射水先生の背中を見ているうちに、いつのころからか『私も国家資格をとって可能性を広げたい』と思うようになりました。
そんな折、義母から『国家資格を取ったらどうかしら?私も協力できることがあったらするから。』と言われ、これはいいタイミングなのかもしれない、と意を決し鍼灸師を目指すことにしました。

現在入学して5か月目ですが、毎日の勉強が今までの学びに繋がっていると実感しています。
その反面、基礎学力が身に付けば身に付くほどに、ますます身体の神秘に頭を抱えることにもなっています。
1+1=2ではないのが人間です。
そんな神のみぞ知る人間の身体をわかろうとするのがおこがましいと思いながらも、皆さんに
【自分の人生を美しく生きることができる身体創りを提供する】という目標を掲げ、日々精進しています。

「身体から変わる人生」があるのです。

今やっと、昔の出来事は今の私を作るためになくてはならなかったのだと思えるようになりました。
人はどんなことも糧にできるのです。

Love the life you live. Live the life you love

Love the life you live. Live the life you love.

自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ

ボブマーリー

Activity

活動

  • ヒロットセラピースクールインストラクターとして授業を担当
  • 関節エステプロフェッショナルアカデミー認定講師
  • 姿勢リフォーム整体にてヒロットセラピーを施術
  • ベビーマッサージ講師
  • HP作成やグラフィックソフトを使っての画像作成(ヘッダーやバナー)のお手伝い

その他、趣味の範囲でマンダラアートレッスンやシンギングボウルの演奏をやらせていただいています