Profile

プロフィール

佐藤 香織 (さとう かおり)

エステティシャン/講師
1979年11月27日 神奈川県生まれ、青森育ち。2児の母です。

射手座のO型で、動物占いは『自分をしっかりと持つマイペース型』のひつじ。

趣味:曼荼羅(マンダラ)アートを画く事。シンギングボウル演奏。人間の勉強。

長所:割と誰とでも仲良くなれる。空気を読める。貪欲になれる。メンタルが強い(笑)

短所:お酒を飲むと調子に乗る

ジャズバーのウエイトレスやアパレルの販売員を経て、2008年よりセラピストに。
手に職をつければ、一生食べていけると思い飛び込んだ世界だが、現実は厳しいことを知って落ち込む。
しかし、持ち前のプライドの高さが功を奏し、セラピストで成功したいという野心を持ち一念発起。
技術や人体の勉強はもちろん、集客・マネジメントや自己啓発、WEBデザイン・グラフィックソフトなど、この業界に必須なコンテンツを独学で勉強。
2013年からは、講師としても活動を始動。
同時に”SUGAR.K HILOT ROOM”という屋号で、女性施術者向けに自分で更新できる、HPやブログカスタマイズを提供。
2014年に、関節エステに出会い、「女性の美を研究したい」と考え、自らの立ち位置をセラピストからエステティシャンへと設定変更。
技術スクールの立ち上げ、運営サポート、講師を兼任。
モットーは「何事にも情熱を持て!」。
「プロフェッショナルな仕事ができる女性施術者を育てる」をミッションに掲げ、自らが手本となれるよう仕事・子育て・学業に情熱を注ぐ。

Personal History

自己紹介

様々な経験が今の考え方を生み出すこととなった幼少期

物心がついたときから引っ込み思案で、泣き虫でした。
父は昔ながらの大工の棟梁という感じの人間で、口は悪くすぐに手の出る人でした。
母は16歳で私を出産したので、今思えば大変若くして出産したためでしょうか、精神が不安定な状態でいつも泣いていました。
そんな両親に育ててもらったせいか、常に人の顔色を伺い言葉を選ぶような幼少時代でした。

小学生になっても誰かと一緒にいることが苦手で仲のいい友達は1人いたくらいでした。
私が小学校2年生の時に両親が離婚し、父方に引き取られました。
記憶は曖昧ですが、母と別れる際「辛いときには音楽を聴きなさい」とウォークマンをくれました。
カセットテープの中身は『安全地帯』と『松任谷由美』。
その当時の私にとってはとても大人な選曲でした。
しかし聞いてみると曲が美しく、歌詞の意味は完全に理解できないもののアーティストの世界観に感動し、テープが擦り切れるほど聞きました。
音楽は今では私の生活の一部となり、辛い事があっても好きな曲を聴くことで、頑張ることができています。

そしてそれと同時に、読書にもはまりました。
当時、薬害AIDS(エイズ)になったことにより差別を受け、最後は亡くなってしまった男の子の自伝書です。
私はその本を読み頭が壊れるほどの衝撃を受けました。
本の題名は忘れてしまったのですが、初めて愚かな差別、そして死を意識した瞬間でもありました。

そしてもう一つ、感銘を受けた本が『病院で死ぬということ』です。
ドクターが病院で死んでいく人たちの事を書いた本です。
終末期医療の話で、死というものも色々あるのだなと思い、子供心ながらにも悲しく、声を出して泣いたのを覚えています。

この2冊を読んでから私の人生観は大きく変わりました。

「如何にして生きるか」ということについて深く考えるようになったのです。
今の私のセラピーの考え方の基盤になりました。

また、たくさんの本を読む中で、最も影響を受けたのが手塚治虫著の『火の鳥』です。
人間の愚かさと儚さを描いたこの作品では、何度も嗚咽しました。

【何で人間は人間に生まれてきたのか】

この思考は、今だに顕在しています。
折角生まれてきたのだから、健やかに美しく生きられたならと考えるようになりました。

《火の鳥》は今でも人生の節目で読み直しています。

色々ありましたが、音楽と読書のおかげで引っ込み思案の私の世界は広がり、このセラピストという仕事を選ぶ事となったのです。

ライフワークと思えるものに出会った成年期

高校卒業後は手に職をつけようと思い、和裁師を目指し弟子入りしました。
寝る間もないくらいの課題と、仕立てに追われ毎日がやりがいのある有意義な時間となりました。
しかし、お給料は月3万円。
もらえるだけでありがたかったのですが、実家が貧乏だった為、車の維持費の捻出も大変になってきました。
その為、苦渋の決断でしたが、2年弱で辞めることとなりました。
その後はアパレルなどのアルバイトをしながら食いつなぐ日々でした。

間もなくして「東京に行きたい」と漠然と思いはじめ、先に上京していた妹を追いかける形で無計画のまま21歳で東京に来たのです。
もちろん無計画だったので、数年は適当な生活をしながら、過ごしていました。

適当に過ごしていた時代。ケバイですね。

27歳の時『このままじゃやばい』と突然思いはじめ、何かできることはないかと買いあさった本の中に『けいことまなぶ』がありました。
その中にあったフィリピンの伝統療法オイルトリートメント“ヒロット”の小さな記事が目に留まりました。
記事を読み込んでいくうちになぜか『これだ!』と思い、すぐに直営スクールに連絡をし、体験を受けました。あまりの気持ちよさに衝撃を受けたと同時に、身体がほぐれることで心もほぐれるという『心身相関』を体験したのです。
何も迷うことはなくスクールへの入学を決意しました。

その日から私のセラピスト人生がスタートしました。
日々のレッスンは楽しく、今までにない充実した毎日を送ることができました。
将来は人気セラピストになる!と甘酸っぱい夢を胸に卒業後は直営店に勤務することとなりました。

しかし、実際は思うように施術をすることができずに悩む毎日でした。

  • 喜んでいただけない
  • 身体を変えることができない
  • 思うように指名が取れない

という現実に直面したのです。

そんな葛藤を抱え胃痛に悩む日々でしたが、皮肉にも人間の身体の難しさに四苦八苦することで、勉強の楽しさに気づくことができたのです。
お給料を書籍とセミナーに費やし、友人とも疎遠になるくらい仕事以外の時間を勉強に費やしました。
そのおかげで世界が広がり、私のセラピーも徐々にですがいい方向に変化していきました。

その後、32歳の時に娘を授かり出産しました。
産後はヒロットセラピースクールの講師として教鞭をとるかたわら、エステサロンでエステティシャンとしても勤務しました。
その時に出会ったのが射水先生の『関節エステ』です。
エステサロンのメニューにあった骨格調整の技術に疑問があり、自分で学びを深めようと探していた時に参加させていただきました。
射水先生の世界観に感銘を受け、さらに学びたいという意欲が高まりました。

私がこのセラピストという仕事をライフワークだと思ったターニングポイントです。

勤務セラピスト時代の会社の飲み会です。手前の一番右が私です。化粧が濃い!
可能性を広げるために鍼灸師を目指している現在

セミナーに参加させていただいたことがご縁で射水先生の治療院で勤務することになりました。
そして日々、治療院で射水先生の背中を見ているうちに、いつのころからか『私も国家資格をとって可能性を広げたい』と思うようになりました。
そんな折、義母から『国家資格を取ったらどうかしら?私も協力できることがあったらするから。』と言われ、これはいいタイミングなのかもしれない、と意を決し鍼灸師を目指すことにしました。

現在入学して5か月目ですが、毎日の勉強が今までの学びに繋がっていると実感しています。
その反面、基礎学力が身に付けば身に付くほどに、ますます身体の神秘に頭を抱えることにもなっています。
1+1=2ではないのが人間です。
そんな神のみぞ知る人間の身体をわかろうとするのがおこがましいと思いながらも、皆さんに
【自分の人生を美しく生きることができる身体創りを提供する】という目標を掲げ、日々精進しています。

「身体から変わる人生」があるのです。

今やっと、昔の出来事は今の私を作るためになくてはならなかったのだと思えるようになりました。
人はどんなことも糧にできるのです。

Love the life you live. Live the life you love

Love the life you live. Live the life you love.

自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ

ボブマーリー

Activity

活動

  • ヒロットセラピースクールインストラクターとして授業を担当
  • 関節エステプロフェッショナルアカデミー認定講師
  • 姿勢リフォーム整体にてエステティックを施術
  • ベビーマッサージ講師
  • HP作成